バカ田大学校歌から考える大本教の予言の一解釈

バカ田大学校歌は、




創立25周年(明治40年)に制定されました

「早稲田大学校歌」





相馬御風 作詞 東儀鉄笛 作曲


1.


都の西北 早稲田の森に

聳ゆる甍は われらが母校

われらが日ごろの 抱負を知るや

進取の精神 学の独立

現世を忘れぬ 久遠の理想

かがやくわれらが 行手を見よや

わせだ わせだ わせだ わせだ

わせだ わせだ わせだ


2.


東西古今の 文化のうしほ

一つに渦巻く 大島国の

大なる使命を 担ひて立てる

われらが行手は 窮り知らず

やがても久遠の 理想の影は

あまねく天下に 輝き布かん

わせだ わせだ わせだ わせだ

わせだ わせだ わせだ


3.


あれ見よかしこの 常磐の森は

心のふるさと われらが母校

集り散じて 人は変れど

仰ぐは同じき 理想の光

いざ声そろへて 空もとどろに

われらが母校の 名をばたたへん

わせだ わせだ わせだ わせだ

わせだ わせだ わせだ



のパクリで、


都の西北 早稲田の隣

馬鹿だ 馬鹿だ 馬鹿だ 馬鹿だ 

馬鹿だ 馬鹿だ 馬鹿だ 




です。




ところで、「都の西北」とはどこでしょうか?


早稲田大学は、東京都の西北ですが、明治より前の都は、京都のことです。

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だから、京都の西北は、亀岡や綾部に当たります。

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つまり、大本教の聖地。



それから、生長の家の谷口雅春さんは、早稲田大学中退です。

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そして、生年月日は、明治26年11月22日


早稲田大学入学時には、早稲田大学校歌はあったので、聴いていたはずです。


中退になので、本当はバカで、バカ田大学なのではなかろうか?



大本教の出口王仁三郎さんの孫の出口和明さんと出口京太郎さんも早稲田大学中退です。本当はバカ田大学だったのかもしれません。

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ちなみに、孫の出口直美さんの婿の出口栄二さんは、早稲田大学卒業です。

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✴️大本教には、三回、事件が起きているのをご存じだろうか?
第一次大本事件は、大正10年梅田から、第二次大本事件は、昭和10年松江から、起きていたので、出口王仁三郎さんは次を予言して、第三次大本事件は、竹で、内輪からと言い残していた。
世界の型の出る大本と言われていて、第二次世界対戦と第二次大本事件の類似点が多いことは、よく知られている。真珠湾攻撃の日付と、松江で出口王仁三郎さんが検挙された日付。時間帯もほぼ一緒。ちょうど6年の間をおいて、12月8日未明。
だから、第三次世界対戦がどうなるか知りたければ、大本教の第三次大本事件を知ることで、経過と結末は予測可能なのです。


✴️その第三次大本事件の主役が、出口王仁三郎さんの孫の、出口和明さんと出口京太郎さんです。そして、その二人ともが、早稲田大学文学部中退なのです。その早稲田大学文学部中退なのが、第一次大本事件後に大本を去った谷口雅春さんなのです。これには、何か繋がりがあると思います。赤塚不二夫さんが、バガボンのパパをバカ田大学の卒業生として発想したのも、霊界からのインスピレーションだったのかもしれません。都の西北とは、昔は、亀岡や綾部だったんですから。


✴️谷口雅春さんは、出口王仁三郎さんの口述筆記に参加しているので、霊界物語の1巻2巻に筆記者として名前が記載されています。それから、霊界物語の登場人物として、57巻に、鰐口曲冬という名前で大正12年に口述されています。大正12年には、谷口雅春さんは東京にいて、9月1日の関東大震災で被災しています。このあたりの事情は、生命の實相の19巻20巻に、書かれています。


✴️出口和明さんと出口栄ニさんの動画がYouTube上に、upされているので少し観てみましょう。
出口和明さん






出口栄ニさん






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